犯罪は犯罪、言い訳の余地なし

最近、「犯罪者の背景を理解しよう」という風潮が強くなってきている。

しかし、それが行き過ぎると「犯罪=助けを求めるSOS」といった、妙な擁護が生まれる。
今回のニュースに対して「こんなにも物悲しい『助けて』があるかよ」というコメントがついていたが、正直、寒気がした。

なぜ犯罪が「助けて」に見えるのか? 

普通に考えて、これはただの強盗未遂。それ以上でも以下でもない。

目次

「劣等感やばくて」は犯罪の免罪符にならない

この19歳の女は「4人きょうだいの中で一番低学歴で、劣等感がやばくてやっちゃいました」と供述している。

いやいや、そんなことで強盗していいわけがない。

仮に本当に追い詰められていたとしても、犯罪を犯せば当然、逮捕される。
これはどんな理由があろうと変わらない事実。

「劣等感でやった」という供述を聞いて、共感する人もいるのかもしれない。
しかし、劣等感を感じながらも真面目に生きている人は山ほどいる。

劣等感を理由に人を脅していいなら、この世は犯罪者だらけになる。
少しでも不遇だと感じたら犯罪OKという理屈がまかり通ったら、社会は崩壊する。

女性が犯罪を犯すと「SOS」に見えるのはなぜか?

この件がもし男性の犯罪だったら、同じような擁護はされただろうか? 
おそらく、「情けない」「甘えるな」「犯罪者に同情の余地なし」と一蹴されていただろう。

だが、女性が犯人になると「助けて」の声に見えるらしい。このダブルスタンダードは非常に危険。

犯罪は犯罪。男女関係なく、やってはいけないことはやってはいけない。
社会的に弱い立場にいる人がいることは理解するが、それを理由に犯罪を許容するのは違う。

むしろ「劣等感がやばいなら、余計に人に迷惑をかけないように努力するべき」という考え方が健全だろう。

「助けて」は他に言い方がある

本当に助けが必要なら、行政の支援を受けたり、周囲に相談したりする方法がある。

日本には生活保護もあれば、相談窓口もある。SNSでつぶやくことだってできる。
だが、「包丁を持ってコンビニに押し入る」という行動は、間違っても「助けて」の手段にはならない。

「こんなにも物悲しい『助けて』があるかよ」と言う人は、犯罪とSOSを混同してはいけない。

犯罪は、社会のルールを破る行為。それを「物悲しい」と言ってしまうと、「やむを得ない事情があるなら犯罪をしてもいい」と言っているのと同じになってしまう。

犯罪は犯罪、それ以上でも以下でもない

どんな事情があろうと、強盗は強盗。犯罪者を「かわいそう」と言ってしまうことは、結果的に「犯罪のハードルを下げる」ことにつながる
。この女が本当に苦しかったとしても、それは犯罪の理由にはならないし、擁護するべきではない。

「助けて」と言いたいなら、包丁ではなく言葉を使え。

それができないなら、どんな理由があっても犯罪者として裁かれるだけだ。

犯罪をして「助けて」のサインになるなら不法移民は何をしても「助けて」と言えば許される世界になり無法地帯になるぞ。

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