差別を言い訳にするな!単位不足は自己管理の問題だ

最近、日本の大学で「単位が足りないから卒業できない」と言われた外国人留学生が、「これは差別だ!」と訴えたニュースが話題になっている。

だが、冷静に考えてみてほしい。

これ、本当に差別か?いや、単なる自己管理の甘さじゃないのか?

目次

卒業要件を満たしていないなら卒業できないのは当然

まず根本的な話をしよう。

大学というのは決められた単位を取得しないと卒業できない。
これは日本人であれ外国人であれ、誰にでも適用されるルールだ。

今回のケースでは、「卒業判定の時点で1単位足りなかった」わけだが、もし日本人の学生が同じ状況だったら普通に留年していただろう。

つまり、今回の件は「外国人だから卒業させてもらえない」のではなく、「単位が足りなかったから卒業できなかった」だけの話。

どこにも差別なんて存在しない。

これを「外国人差別」と訴えるのは、自分のミスを他人のせいにする典型的な甘えではないか?

「補講の案内がなかった」?確認するのは本人の責任だろ

次に、「補講があることを知らされていなかった」との主張について考えてみる。

確かに大学側が個別に案内をしなかったのは不親切だったかもしれない。
だが、そもそも単位が足りているかどうかを確認するのは学生本人の責任だ。

大学というのは高校ではない。

先生が手取り足取り面倒を見てくれるわけではなく、自分でスケジュールを管理し、必要な情報を積極的に取りに行くのが当たり前だ。

社会に出ても、「誰も教えてくれなかったからできませんでした」なんて言い訳が通用すると思うか?

さらに言えば、教授陣の配慮で特別に補講を受けることができたにもかかわらず、まだ「差別だ」と文句を言っている。どこまで甘やかせば気が済むのか。

そんなに「お客様扱い」されないと納得できないなら、そもそも留学なんてしなければよかったのでは?

差別という言葉を軽々しく使うな

最近、何か気に入らないことがあるとすぐに「差別だ!」と騒ぐ人が増えている。

だが、本当にそれは差別なのか?単なるルールの適用や本人の不注意による失敗を「差別」という言葉で誤魔化すのは、逆に本当に差別を受けている人たちにとって迷惑な話だ。

本来、差別とは「同じ条件であるにもかかわらず、不当に扱われること」を指す。

しかし、今回のケースでは「1単位足りなかったら卒業できない」というルールが適用されただけ。
日本人の学生だって同じ状況なら卒業できないのだから、これは差別ではない。

ルールを守るのは当たり前

結局のところ、今回の件で問題なのは、「自分のミスを他人のせいにする」という態度だ。

日本に留学するなら、日本のルールを守るのは当然のこと。
卒業のために必要な単位を事前にしっかり確認し、足りなければ自分から補講について問い合わせる。

そういう当たり前の努力をしないで、「知らなかった」「教えてくれなかった」と被害者ぶるのはただの甘えでしかない。

外国人であることを言い訳にせず、まずは自分の行動を見直すべきではないか?
少なくとも、社会ではそういう姿勢が求められる。

差別という言葉を便利な言い訳に使うのはもうやめにしよう。

会見に同席した市民団体『コムスタカ 外国人と共に生きる会』は「外国人差別にあたる」と指摘しています。と指摘しているようだが、こういった市民団体は差別と声を上げるのではなく留学時のサポートをするようにするのがいいのではないだろうか。

こういったことを繰り返すと、団体自体の格が下がりなにを言っても信用されなくなるぞ。

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