無限連休について
まず初めに私が賛成か反対か・・・・それは最後に記載させてもらおうと思う。なぜならそれは一見した答えだけでは伝わらないと考えたからだ。
まず初めに無限の連休について皆さんはどう考えるだろうか?二日の休みじゃたりない。もっと連休がほしい。GWも10連休にしたい。もっと休みたい。などがよく耳にする意見ではある。
ではその要望を叶える無限の休みとは素晴らしいものなのだろうか?
”答えは私にはわからない。”
ただ、私が言えることは気安く素晴らしいと言えないところだ。
大前提が「有給休暇」なのか、もしくは、「仕事を休んでいるのか」というところではあるのだが、どちらにしても人というのは時間が有り余っていると堕落していってしまう者である。
動物園の動物を見てほしい。
自然を忘れ、安全な自分の小さな世界だけで完結する彼らは果たして本来の種としての本能は正しく残っているのだろうか?
堕落していった人間は人間と呼べるのだろうか?
私は人間であり続けたいと考える。
また別の角度から考えてみよう。
“人生”と大きく銘打ってみるが、人生を考えた時に短く短命だが、輝いて散った者も多いだろう、また反対に長く長命で、あまり光ることはなかったが、そこそこいい人生をおくったとして、皆さんはどちらがいいだろうか?また、振り返ったときにどう感じるだろうか?
私は短命で強く輝くほうが美しく映ってしまう。
儚いものが美しいからなのだろうか?私は、美しさの密度が高いからだと考えた。
美しさの密度とはなにか、それはその人の人生の密度だと考える。では、どうすれば密度はより高くなるのか。
答えはシンプルだ詰め込めばいい。
満員電車の人の人口密度を上げるならどうするか?答えは簡単だ、押し込むだけ。私は知らないが、世間の満員電車に乗るもの達はそうやって人口密度を上げているのだ。
まさしく彼らのように押し込めれば、人口密度と同じように、人生の密度の上がるのではないだろうか?
よって時間が有り余ってしまう可能性の高い、連休は恐ろしくも感じてしまう。
なぜか、それは上記では”堕落”と表したが、人間は弱い生き物だからだ。
つまりある程度の制限縛りがある中で、いかに詰め込むがというのも美しいのではないだろうか?
よって私は無限連休に反対だ。
ぜひ皆様には人生の美しさを社会貢献として見せてもらいたい
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